著名人に聞く、
心のバリアフリー

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影山 優佳Yuka Kageyama

一歩を踏み出す勇気が心のバリアフリーにつながる

学び体験することで気づくバリア
私自身の経験になりますが、小学生の時のフィールドワークで、家から最寄り駅までの道でバリアフリーを見つけようという授業があったんです。実際に登下校の道を歩いてスロープや点字ブロックを見つけ、写真に撮って発表したのですが、まちの中にはいろいろなバリアがあることに気付かされました。いつも何気なく使っている道や駅のスロープなども、「階段しかなかったら不便さや困難を感じる人たちがいるのだろう」ということを実感しました。あるショップに行った時に、シャンプーとリンスに違う線が入っていることに気が付いて、驚いたことを今でも覚えています。
見ようと思わなければ、見えないことはたくさんあります。私は小、中、高、教育外で多くの人との出会いを通してバリアフリーについて学ぶ機会があり、意識することで見えてきたことがたくさんありました。
イメージトレーニングをしよう
困っている人を見かけても、見知らぬ人に声をかけるのはかなりハードルが高いです。だからつい、自分が声をかけなくても、誰かが声をかけてくれるから大丈夫と思ってしまいがちです。声をかける動機はなんでも良いと思うのです。私は、その人とは初めましてだけれど、困っている人に自分が声をかけたら、私がピンチの時には誰かが助けてくれる。お互いが手と手を繋ぎあって、誰かと必ず手が繋がっているから、自分もその手をしっかりと握るようにしたい。いつかこの手が自分から離れそうになった時に誰かが握ってくれたらいいな、と思うので……。
勇気を出して声をかけるために、例えば、道に迷っている人がいたら、どうやって声をかけたら良いかなど、日ごろからイメージトレーニングをしておくのもいいと思うのです。昔から私は、道を知っていそうな顔をしているからなのか、駅で外国の方に英語で声をかけられることが多くて、そういう時にすぐに対応できたらかっこいいなと思い、道案内の時によく使うフレーズや単語を覚え、とっさの時にもフレーズが出てくるよう意識しています。それは道案内だけではなくて、困っているお年寄りの方や妊婦さんに対して、自分が取りたい行動を意識しておくことも素敵なのかなと思っています。
お互いの距離を埋めるための一歩を踏み出すのは、とてもハードルが高いのですが、自分がそこに橋を架けていくために歩み寄り、学び、誰かを信じることで、そのハードルは下がり、勇気を出す方法が自分の中で見つかると思っています。
見えるバリアと見えないバリア
例えば、駅の改札は必ず右手側にタッチするところがあります。私は右利きなので当たり前のように利用していますし、左利きの人も利用していますが、左利きの人にとっては右手に持ち替え、左手で遠くを押すなど、不便さや困難さがあると思います。これは目に見えないバリアで、このような知らず知らずのうちに生じたバリアはたくさんあると感じています。
ライフラインなどの整備は進んでいます。音楽や映像を視覚的に楽しむ場面でも、会場や企画者の人たちがバリアに対して配慮をされていますが、なかなか周知されていないのが現状です。そのためにハンディキャップのある方たちが「みんなと同じように楽しめないかもしれない」「大きな犬を連れて行かなければならないので周りに迷惑をかけてしまう」とバリアを感じ、ストッパーをかけて、参加する機会を逃してしまっていることも多いと思います。
私が先日臨んだコンサートでは、バリアフリーエリアはもちろん、骨伝導で音を伝えるような無料システムを優先的に導入し、誰もが楽しめるライブにしますということを発信していった結果、その席が一足先に埋まりました。こうした情報発信ができたのは、誰もが楽しめるコンサートにするために、壁となる困りごとは何かに「気づき」「考える」ことから始まったのだと思います。
思い込みと偏見がバリアを作っている
この春に、障害のある方たちが参加した音楽ライブでM Cを務めさせていただいたのですが、障害やハンディキャップを意識する瞬間は全くありませんでした。逆に生きる力やパッション、プロフェッショナルとしてこの仕事を全うするぞという、内からみなぎる力をすごく感じ、私も皆さんの足を引っ張らないように頑張らなければと、刺激をいただいた時間でしたね。一つの目標に向かって協力し合い、切磋琢磨するという経験はもちろんですが、本当に皆さんが自分から自分の殻を破りにいっている。だからこんなに生き生きとしていらっしゃるのだということを実感させていただきました。
そして「障害のある人は常に支援が必要で、いつも支援を受ける側だ」といった思い込みが私たちの中に偏見を生み、行動にバリアが作り出されていくのだとも思いました。このようなバリアをなくすために一歩踏み出すということは、自分で自分に制限をかけたり、限界を決めたりせず、自分の殻を破ることにつながるということを教えていただきました。こうした気づきが、「心のバリアフリー」に近づく第一歩なのだと思います。

戸塚 純貴Junki Tozuka

「当たり前のことをする」この思いが心のバリアフリーにつながる

意識すれば気づけるバリア
ハード面でのバリアは誰にでも見えるものですが、世の中には目に見えないバリアがたくさんあると思います。でも、見えないバリアは僕も含めてですが、意識して見ようと思わなければいつまでも見えないままです。ただ、自分でも気づかずにバリアを取り払っていることはあると思うんです。例えば、日常的なことなのですが、多くの人が電車で高齢者や妊婦さんに席を譲ったり、歩いている時に道を譲ったりしています。この時に心のバリアフリーを意識しているわけではないのですが、譲り合うことは当たり前のことだし、大事なことです。
心のバリアフリーが言葉としてどれだけ浸透しているかは、正直わからないのですが、こうした一人ひとりの意識や行動が、心のバリアをなくしていくことに繋がっていくのだと思います。皆が自分本位に行動すると、例えば、無理な車線変更、最近問題になっている煽り運転などは大事故につながり、世の中は誰にとっても安全ではなく危険な場所になります。誰もが安心して暮らせるようになるためには、いろいろなことに気づき、お互いに思いやる気持ちが大切なのだと思います。
一歩を踏み出す勇気が世の中を変える
先ほど席を譲るのは当たり前だと言いましたが、知らない人に声をかけるのは結構勇気が必要です。それと最近は人の干渉をしないのが美徳のようになっていると思うので「断られたら気まずいな」とか考えたりします。もちろん席を譲った時、ほとんどの人が受け入れてくれるので、嫌な態度を取られたりしたことはないのですが、「次の駅だから大丈夫だよ」と言う方もいらっしゃいますので、声をかけて良いのか、と考えてしまうこともあります。でも、感謝されることが多いですよね。
感謝されるととても嬉しいですし、勇気を出して声をかけたことで、最初のバリアが取り除かれていくような気がします。一人でも多くの人が一歩を踏み出す勇気を持てたら、世の中は変わっていくと思います。
学び体験の積み重ねが大切
子供の頃に体験したことや勉強したことは、大人になっても身について忘れないものです。だから目に見えないバリアについても、幼稚園、小学校、中学校などで学んだり体験することができれば、自然に身についていくものだと思うんです。そうした機会が少ないためにお互いにバリアを取り払うことができないのかなという気がします。大きく考えると難しく感じるかもしれませんが、生活の中でいろいろ学び体験を積み重ねていくことで、心のバリアフリーを身近に感じることができるのではないでしょうか。
僕はお仕事などで、体験したり、考えるチャンスをたくさんいただいていますので、自分の子供ができた時には、小さい頃から心のバリアフリーをしっかりと伝えていきたいと考えています。
同じ目線に立って話そう
心のバリアフリーを広く知っていただくためには、いろいろなところで発信していくことが重要です。今はSNSやYouTubeなど、広く知ってもらうためのコンテンツがたくさんあるので、新しいものを取り入れて発信する場をたくさん作っていけたらいいのかなと思いますね。僕の場合は芝居の仕事をしているので作品を通して伝えていければと思っています。
以前、「ケアニン」という映画で、認知症の人と触れ合う介護福祉士の役をさせていただいたのですが、日常的に「誰にでも起こりうるようなこと」なのに、介護福祉士の仕事についてほとんど知りませんでした。この役に出会って、何よりも人と人が対話し、同じ目線に立って会話をすることが大切なのだということを実感しました。例えば、耳が遠い人には大きな声で話をする。「してあげる」のではなく「当たり前のことをする」。これが意外にできていないということを感じました。
映画「ケアニン」では僕自身、人に対する思いやりの大切さを学ぶとともに、「当たり前のことをする」ということが自然にできていないことに気づき、考えてしまいました。「当たり前のことをする」、こうした意識を周りの人たちと共有していきたいと思います。

田中 理恵Rie Tanaka

〝人間どうし〟のつながりが心のバリアフリーには不可欠

声をかけるのは挨拶をするのと同じ
私は東京2020オリンピック・パラリンピックの時に組織委員として活動してきました。心のバリアフリーについては、こうした活動を通して事あるごとに考えてきたと思います。それでも普段の生活の中で、電車に乗ったりスーパーに行った時に困っている方を見かけて、声をかけるかどうか迷ったりすることがあります。声をかけることはできますが、自分でやりたいと思っている方もいるかもしれない……、自分がこのタイミングで声をかけてもいいのかな、と悩んでいる間に時間が過ぎてタイミングを逸してしまうこともあります。
子供が生まれて、ベビーカーで移動する時にエレベターが見つからず、階段を気合を入れて上ろうとした時に「手伝いましょうか?」と声をかけていただくことがあります。そんな時に自分が恥ずかしくて「大丈夫です!」と言ってしまう事があるんです。あとで「ありがとうございます」と、助けてもらっても良かったかな、と思うのです。その方は勇気を出して声をかけてくださったのかもしれないのに。初対面でも「こんにちは」と笑顔で挨拶をすることはできます。困っている方に声をかけるって、それと同じなんですよね。
声をかけるのに、勇気が必要な人もいれば、自然にできる人もいます。私自身はまだ、タイミングを見てしまっているところがあります。声をかける、助けあう、支えあうというのが当たり前の世界になっていくと、お互いに笑顔になれて嬉しいじゃないですか。コミュニケーションをとるきっかけは、人と人とが声をかけ合うことから始まるのだと思います。
私たちの思い込みが作るバリア
私はイベント等で車いすの体験をしたり、高齢者の方たちと体操をする機会が多いのですが、意外とおじいちゃん、おばあちゃんが体操をできるんです。一緒にするまでは、無意識のうちに高齢者だからという思い込みがあったのかもしれません。
障害を持つ方たちに対しても、無意識の思い込みがあるのかもしれません。そうした思い込みを少ずつでもなくしていくためには、経験できる、体験できる環境づくりというのが必要だし、身近にあればいいなと思います。特に教育の場にこうした環境が必要だと思っています。
例えば、点字ブロックは「目の不自由な方が通る道だから、ここに荷物を置いちゃいけないのよ」ということを教育の場で学ぶことができれば、子供たちは自然に、点字ブロックは「目の見えない人が通る道だから、自転車を置いていたら危ない、駄目なんだよ」ということがわかるようになります。もちろん、親として生活をする中で伝えていかなければいけない事だと思っています。子供は「なんで車いすに乗ってるの?」「歩けないの?」と聞くこともあると思います。そうした時にオープンに話すことが大事なのではないかと思います。車いすに乗っていることはマイナスでなく、「車いすがあるから、いろんなところに行ける」「車いすはすごいんだ」と、プラス思考で会話をすることが重要なのだと思うんです。そのためには家庭の中でオブラートにくるまずにわかりやすい言葉で説明をする。
私は電車でお年寄りの方が乗ってくると「どうぞ」と自然に席を譲るのですが、つい最近、娘もやっていたんです。「どこで覚えたの?」と褒めちぎったら、娘は「え~、ふつうだよ。私は立てるから、おじいちゃん、おばあちゃんは足が弱くなってくるから、座ったほうがラクなんだよ」って答えたんです。もしかしたら私のことを見ていて、真似っこしてくれたのかなって、プラス思考で考えているんです。こうしたことを親から子に自然に伝えることができたらいいなと、親になって実感しています。心のバリアフリーという言葉を使わなくても、家族で日常的にそうした話をする環境ができると良いですよね。
一日の出来事を振り返ってみる
最近、多目的トイレにベビーカーで入ったのですが、ドアを開けた時におむつのベッドが倒れていてぶつかってしまったんです。私は力があるので避けられましたが、もし車いすの方や手が弱い、力が入りにくい方が遭遇したら大変です。もしかしたら前に使用した人が急いでいたのかもしれませんが、元に戻すという心遣いや思いやりを広げたいですね。日常生活の中には経験しないとわからないことが、たくさんあります。経験すること、想像することから次のプラスアルファが生まれてくるのだと思います。
私はいつも一日が終わった後に、その日の出来事を振り返って、自分がやってもらって嬉しかったことが今日は何個あったかなと考えて書き出しています。時間が無かったら考えるだけでもいいんです。例えば、ベビーカーを電車から降ろす時に、隣の人が通路をあけてくれるとちょっと嬉しいじゃないですか。自分がやったことより、やってもらったことって何だったかな~と考えた時に、やってもらって嬉しかったことを吸収したい……日常の中で小さな嬉しさや楽しさ、幸せがいっぱい増えれば、心のバリアを取り除くことにつながっていくと思うんです。
パラアスリートとの交流
東京オリンピック・パラリンピックを通して多くのパラアスリートと交流してきました。パラリンピックの選手たちは自然体で私たちと一緒に行動してきました。パラアスリートと会う前から、どのように接したら良いか、どのようなサポートをすれば良いかを考えていた自分が本当に情けなく反省することが多かったです。もちろんそれぞれ個性はありますが、オリンピアン、パラリンピアンの区別をすることなく、みなさんは普通にコミュニケーションをとっていました。車いすに乗っていたとしても、車いすは体の一部と一緒で足の役割をしている。車いすだから大変とか、そういう感覚は全く感じませんでした。そうしたことも、会話をし、コミュニケーションをとらなければわからなかったので、コミュニケーションは本当に重要だということを実感しました。
東京オリンピック・パラリンピック後では環境づくりも含め、だいぶ変わってきたのではないかと感じています。合宿やイベントなどもオリンピックとパラリンピックを合同ですることも増えました。
日本で開催する大会であれば、イベントをプラスしてオリンピアン・パラリンピアンの方々が出る試合が増えてもっと盛り上がっていったらいいなとは思っています。元アスリートとしてさまざまな面での環境づくりに力を入れていかなければと感じます。
障害者、健常者の区別はない
「心のバリアフリー」はすべてのことに当てはまる言葉だなと思います。実は、若い頃の私は障害のある方々に声をかけることがずっとできなかったんです。なぜかというと「自分の助け方はあっているのか?」と考えてしまい、見て見ぬふりをしてしまった自分がいました。これこそがバリアだったんですよね。東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会で理事をさせていただいて、いろんな方々と出会いお話をする時に、周囲にバリアを感じていた昔の自分がとても恥ずかしくなりました。障害者、健常者を区別するのではなく、「手伝いが必要な人、必要でない人」と考えれば、断られてもOK。こうしたことも経験をさせていただいたからわかったことです。
イベントなどで、オリンピアン、パラリンピアンがゲストとして登場した時、「みんなでイベントを盛り上げよう!」という空気があり、そこにはバリアはありません。東京オリンピック・パラリンピックは日本全体が変わっていく一つの機会だったと思います。選手だけでなく、ボランティアの方々も東京オリンピック・パラリンピックを経験したことでいろいろな発見ができたのではないかと思います。
「特別」ではなく「当たり前」にしたい
車いすバスケットを経験させてもらった時に、私たちは足を使っていたのに、上半身だけでプレーする方たちに全くといっていいほど歯が立たず、パラアスリートの凄さを改めて感じられる機会がありました。どこを使っているのかと聞くと「肩甲骨ですよ」という答え。彼らはすごいアスリートなんです。確かに体操でも、選手が吊り輪の時に腕で止まっているように見えますが、実は肩甲骨で止まっているんです。一緒なんですね。そういう考え方を新たに知ることができました。
日本と海外を比較した時、海外はバリアが少ないと感じます。日本はまだまだ特別視する傾向がありますね。ロンドンオリンピックに参加させていただいた時も、コミュニケーションの取り方は、障害者、健常者ということは関係ないんです。その時点ですでにバリアがない。私は東京オリンピック・パラリンピックの理事になった時に、その経験や思いを伝えました。私たちだけでなくボランティアも含め、街全体でオリンピック・パラリンピックを作り、応援したくなる環境づくりについても話し合いました。心のバリアフリーという言葉を聞いて、気づかされる人はいっぱいいると思います。それでもやっぱり「わからない」とマイナスに考える方は多いので、少しでもプラスに考え、それが普通になればいいなと思うんです。
家族で今、田中体操クラブを運営しているのですが、ここにはほかのクラブには入れなかったお子さんも参加しています。体験に来られるお母様から、「子供に経験を積ませたいんです。大丈夫でしょうか?」と聞かれることもあります。私はここでいろんな人たちと交流することで、たくさんの経験をしてもらいたいと思っています。

上原 大祐Daisuke Uehara

心のバリアフリーを広げる第一歩は、全ての人がお互いに認め合うこと

必要なのは双方向のコミュニケーション
心のバリアフリーを進めていく上で重要なのは、行政・飲食店やホテル・一般の人たちに広げていくことです。しかし残念ながら世の中にはほとんど浸透していないというのが実情です。心のバリアフリーというと「健常者が障害者に対して何かをしてあげる」と勘違いされることが多いのですが、私は、障害者とか健常者とか区別をするのではなく、お互いにコミュニケーションを取り合うことが、心のバリアフリーだと思っています。双方向のコミュニケーションをするためにどうすれば良いのかをしっかりと考えていく必要があると思います。
今はまだ、困っている人=障害者、という図式があると思いますが、健常者の人たちだって困っている人はいますので、私はそういう人に「何かお手伝いましょうか」と声をかけます。心のバリアフリーというと、健常者が障害者の手伝いをするというイメージがありますが、「手助けをする矢印」は一方だけではなく、いろんな方向に向かっているのだということを多くの人に知って欲しいです。
人と交わる機会をたくさん作る
心のバリアフリーが浸透しない理由はたくさんあります。「私は健常者だから関係ない」という方もいると思います。でも、怪我をして障害者になるかもしれないということを想像してみてください。とは言っても、なかなか想像することは難しいと思います。だからこそいろいろな人と交わる機会を作ることが大切になってくるのです。
私が全国で開催していているパラスポーツの大会には、障害を持った人、おじいちゃん、おばあちゃん、2歳児まで、いろいろな人たちが一つのスポーツを楽しむために集まってきます。その結果、弱者といわれている障害者に、健常者が負けるというパターンも生まれる。「こんなに正確に距離を計って投げられるんだ。今のすごいですね」など、いろいろな場面でこれまでの概念を覆すことを経験し、そこからお互いの理解が深まっていきます。
東京オリンピック・パラリンピックの時に「共生社会」という言葉が流行りましたが、それは「共有社会」から生まれるものだと考えています。例えば、時間・場所・感動……、いろいろなものを共有する場所ができたら、自然と共生社会になるんです。それが、生きづらさのバリアを取り除く第一歩になるはずですから。
まず手伝いが必要かを聞いてみる
よく、「声をかけるかどうかを見極める」ということを言われますが、見極めるのではなく、まず手伝いが必要かどうかのイエス・ノーを聞いて、イエスならどうやって手伝ったらいいかを聞くだけでOKなんです。
職場で同僚が重い荷物を持っていたら、自然に「持とうか?」って聞くのと同じです。大丈夫と言われたらそれで良いし、持ってと言われたら、どこを持つのかを聞く。全員が全員、手伝って欲しいわけではないですし、手伝って欲しい場面ではないかもしれません。私は街中で迷っている人がいたら声をかけるし、困っている時に声をかけてもらったらありがたいです。要はそれだけなんです。皆がハッピーに過ごせるために、どうすれば良いかという、いたってシンプルなことなんです。
教育現場で共に学ぶことが重要
健常者と障害者の間にはまだ深い溝があって、それが差別意識につながっているのだと思います。私は東京オリンピック・パラリンピックに関わらせていただきましたが、東京でパラスポーツをするために体育館の貸し出し申請をすると「障害者には貸せません」と言われることが山ほどあるのです。このことは意外と知られていないのですが、これこそ〝見えないバリア〟です。偏見や差別がたくさんあるなと思っています。
先日、東京に行った時にランチをしようと思って外のメニューを見ていたら、店の人が出てきて「うちは、車いすの人はお断りしているんです」と言われました。こうした偏見や差別をなくしていくためには、子供の頃からの教育が大事だと思っています。
最近は、ダイバーシティやインクルーシブという言葉が様々な分野で使われています。障害者もいればLGBTQ 、外国籍の人など、様々な人たちがいます。こうしたことを学校などの教育現場で共に学ぶことが必要であり、心のバリアフリーはここから始まるのだと思います。
楽しさや共感が人との距離を縮める
日本では、よく車いす体験や目隠し体験をするのですが、それは〝大変体験〟なんです。「車いすの人って、やっぱり大変だ」「目が見えない人って大変だ」で終わってしまいます。「大変だな~」から入ってしまうと、どんどん人と人との距離が遠くなってしまうので、もっと「楽しさ」や「すごさ」を知ってもらう必要があると思っています。だから私は一緒に車いすバスケットボールをやろうと、子供たちの所へあちこち行っています。そうすると「めちゃくちゃ車いすの使い方が上手い」「すごく早い!」など、子供たちから声があがります。「すごいな~」から入ることでお互いに理解が深まるというところもあるのです。
私は〝大変体験〟はしないので、小学校へ行くと最高に人気者です。子供たちに「友だちになろうね」ということから始めます。最後は激しく、暑苦しいくらいに何十人にも囲まれて「また来てね。いつ来るの。明日来るの?」と言われながらお別れしています。
「友だちごと化」しよう
よく皆さんは「自分ごと化しよう」とおっしゃるのですが、「自分ごと化」するのはとても難しいんです。例えば、私に「立って歩いている人の自分ごと化」をして欲しいと言われても、立ったことがない私にはよくわかりません。だから私は「ぜひ、友だちごと化をしてください」という話をします。要は友だちを作ることです。友だちとご飯を食べに行こう、ショッピングに行こう、というのと同じです。
だから私と友だちになって、「上原大祐と今度、ご飯を食べに行こう」となったら、「今まで行っていた店は、段差があったかな、なかったかな」と考えるようになります。「上原大祐」と行動するには、「○○さんという視覚障害者」と行動するには、という視点で見るようになります。だから「友だちごと化する」のが重要だと思っています。面白い話の中で、僕と一緒にお店に行くにはどんな工夫が必要か考えてみる。難しいとか、世の中のクレームをひたすら言うのではなく、どんな工夫をしたら実現できるのか。
みんなで話し合ってみよう、考えてみよう、ということから、コミュニケーションが生まれる素材を届ける。「みんなが考えることを届ける」ということを心がけています。
誰もが使いやすいモノづくり
東京都の企画で都立高校全校に「インクルーシブ体験を届ける」プロジェクトに講師で参加させていただいており、車いすで高校生とゴミを拾いに街に出ました。「気づきや知るを届ける」ことが私の役目だと思っています。東京都と一緒に学生たちがインクルーシブデザインで作った洋服のファッションショーをするためのアドバイザーもさせていただいています。
学校で習うユニバーサルデザインは、健常者が「障害を持った人は、こんなところが不便だろう」など、想像からのデザインなので、私はファンタジーデザインと呼んでいます。当事者と一緒にインクルーシブデザインを進めることがリアルデザインになっていくのだと思います。健常者向けのものは、健常者にしか使えない可能性がありますが、障害者向けのものは、両者が使いやすいものになりやすいんです。カーディガンもライターも障害を持った人から生まれたと諸説あります。例えば、ライターは片手で火を起こせますし、カーディガンは手が上がらなくても手を通して、片手でボタンを留められます。障害者の基点でモノ作りを考えると、誰もが使いやすいモノが生まれ、皆がハッピーになる。大切なのは、「インクルーシブな視点で考えること」だということを多くの人に知ってもらいたいです。
今までで一番パラリンピックが成功したと言われているロンドンで、街やモノをどのようにデザインしたのかを伺ったところ、「ウィズ(with)デザインとバイ(by)デザイン」という答え。日本では当事者起点のバイデザインはまだまだで、当事者不在のウィズアウトデザインなんです。当事者起点でデザインすることがスタンダードになり、ビジネスや行政の場で当事者の課題や困りごとが共有されていくことが、心のバリアフリーにつながっていくのではないでしょうか。